ふたば通信

子どもの世界 目線を思う

猛暑の夏から徐々に、過ごしやすい秋の気配を感じるようになってきました。

幼稚園では夏休みが終わり、2学期の活動が様々に進んでいるところです。

幼稚園の2学期をイメージすると、「運動会」や「秋の遠足」など行事が多いシーズンという認識の方も一定数いらっしゃると思います。

今回はその中でも運動会について、焦点を当ててお話をしたいと思います。

運動会のイメージとして、

「みんなで(集団で)」

「心を一つに」

「競い合うことの大切さ」

「我慢することの大切さ」

などを学ぶ場という認識の方もおられると思います。

確かに大なり小なり、そのような経験は運動会だけではなく、集団生活をする中では経験することと考えますが、

運動会だけを切り取り、「特訓」、「訓練」、「我慢を覚える場」という捉え方で、活動のねらいを設定することは、子どもの育ちを失うことにつながると考えます。

幼児教育で大切にされている柱は、「子どもの興味・関心」であり、「自分で選択し、進んでいくこと」だと考えられます。

ですので、運動会のような場で、「先生の指示を聞いて正しい振付を指示通りに覚え動くことができた!」が、最大のねらいでも、最大の成長でもないと言えます。(もちろんこの姿がいけない・否定しているというわけではありません)

 

「運動会で何をするか・何ができるか」を目的にするのではなく、「運動会を通して何が育つか」に注目することを大切にしたいです。

例えば、5歳児の活動では、自分たちでリレーについて戦略を考えたり、綱引きでどうしたら勝てるか考えたりしています。

大人の世界・目線では、「こうしたほうがいいのに・・・」、「それ、絶対理論的にはおかしいけど・・・」というようなアイデアが出ることもあります。

その時に、私たち大人が、「子どもの世界・目線・捉え方に思いをはせることができるか」が、問われていると考えます。

子どもたちが生み出す意見・アイデアは、子どもたちがひねり出した「最高・最善の意見」、「とっておきの意見」であることがあります。その意見は、大人の理屈では理解できないこともあるかもしれません。

 

その意見を、

「大発見だね!」

「いいかも!」

「よく考えたね!」

など、受け止め、そしてその大発見に寄り添い付き合ってもらえる大人の反応は、子どもたちにとって何よりの自信になります。

(命にかかわることや安全にかかわることなどは時に大人の介入が必要な時はありますが)

また、時には、子どもが考えた意見で物事が動くときに、周りとの整合性が取れない場面もあります。

例えば、子どもどうしで話し合い、ルールを決めたがそのルールでは、明らかに不利な子ども(チーム)があるというような場面です。そのままゲームや試合に突入すると、勝敗結果は明確に大人は読めてしまいますが、この場面でも、時に子どもたちが、

実際に経験した後に、「あ、このやり方、~なんじゃない?」と気づくことがあります。

このように、一見時間がかかり回り道に見えることでもやってみたからこそ、見える世界があるということです。

この時間は、小学校教育以上では、教科指導の観点でなかなか時間が取れません。

しかし幼児教育ではこの時間をどの校種よりも確保することができます。そこに、小学校以降の学びに向かう要素が込められていると考えられます。

ですので、保育者が気づいていてもあえて、その状況のまま、子どもの活動を進めるということはあります。

そのように、保育者が主導で積み上げる運動会のスタイルではなく、「子どもの思い・意見が詰まった運動会」にどうすればしていけるか模索しながら、取り組んでいるところです。それは時に、「未完成」、「発展途上」で、当日の姿として現れることもあります。しかしここで、当日に間に合わせることや、見栄えを第一に重視すると、前述の子どもの世界を大切に、そして学び・育ちの機会を失ってしまうことにつながります。

子どもの世界を間近で見ている保育者が、日々の子どもたちのストーリーを伝えたいということで、当園ではお便りの発信などを行っています。

ぜひ、その発信の中で、

「活動を通して何が育とうとしているか」

「子どもたちのやってみたいという思いや意見が、どのようなところにちりばめられているか」

「子どもと保育者がどのように対話し、築き上げてきたか」

等に注目いただけると幸いです。

運動会を通して、子どもたちの思いが形となり、その姿を保護者の方と共有できたときの子どもたちの表情を、

わたしたちも楽しみにしています。